How’s goin guys, it’s Koshin(@k__gx88)
恥の多い生涯とまでは言わないが、恥ずべき部分を身に沁みらせながら路頭に迷う機会は多かった。普遍的なモノの見方に1度でも懐疑的な姿勢をとると、作り笑いを覚える他ないことを今ではよく解っている。
「よくわからない人」という烙印を押される毎に、ピエロなる一面が語り掛けてきていた。好んで「本・テレビ」という部分に触れることで、変であることの正当性を探していた僕。
今一度 who am i をここに・・・
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about me
- 富山県の小さな港町出身
- 休学ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在
- テレビ業界を齧った出版業界人
僕 × モラトリアム
上京に伴い親元を離れ、知らない土地での一人ぼっちの戦いの代償は、夜の静けさの中で人知れず襲ってきた。
向けるべき熱量の矛先が分からずじまいで、「バカやって笑って疲れて寝る」という単調な生活の日々。同じようなライフスタイルを送る者だらけの環境にどこか安心し、危機感なんて持ち合わせていなかった。この普遍的な生活こそが道であるとさえ思えた。大学に入れば何かが変わると信じてやまなかった期待と、代わり映えのない生活への失望。何かを変えざる負えないという扉の前にいた。
「Comfort Zone」から飛び出し、かつては忌み嫌っていた「独りの時間」を積極的に設け、「好きの確立」にフォーカスした。その過程の中で次第に外の世界への渇望が強まり、オーストラリアの地を踏んだ。「ワーキングホリデー」というまっさらなノートに沢山の色鉛筆で描くストーリーは、水を得た魚のように踊り出し、生きた道筋を照らし出した。
だが、決して毎日が光っていたわけではない。何かを成し遂げなければいけないという焦燥感に駆られる日々の中で、弱い自分と向き合って泣いた夜もある。道化を演じながら、一歩踏み出した先の景色の明るさと暗さを知った。正解か不正解かも分からないモラトリアムという道で、「自己・他者」との軋轢に折り合いを付けながら歩いていた。現状で導き出した答えがアリかナシかと模索しながら。
僕 × 本
ジャンルを問わず知恵が結集している本を読むことは、現代を生きる僕にとっては人生のヒントである。本こそが自らの知的能力を引き上げ、見識力と創造性の土台となる。彼らとの対話が自身の価値観に語りかけ、多くを見聞することで一度きりの人生の色が濃くなり、選択肢の幅が広がる。知らないモノを知る為のデバイスとしての本によるワクワク感は、旅をすることに匹敵するとさえ考える。
昨今、ネットの普及により娯楽が多様化し、読書をしない層が増えつつある。しかしながら、誰もが発信できるネット情報には、波及力と嘘と見抜くことができない巧妙さが備わっている。「リアル・フェイク・演出」の線引きをできない者達による弊害が顕在化しているのは周知であろう。
ここに、信憑性溢れた本という存在の不可欠さが内包しているのではないか。ただ、本との触れ合わせ方を訴求するという面を担っている現在、実現までの道のりが袋小路であり、頭が割れるように痛い。
僕 × テレビ
傍で笑う私小説の1人ひとりによってどんどん狂っていく自我をぶつける場所(テレビ制作会社)を見つけた。テレビを持たない僕が面白いと感じるものを、テレビの専門家たちにプッシュする毎日。顔も見たことのない誰かが作った既存のコンテンツに沿うネタを探し回る毎日。価値観をすり合わせた先がアリかナシかの単純作業の毎日。
だが、文章と写真で働きかける刺激的な日々は、新しい扉をノックするキッカケとなった。
- 面白い / 面白くないの線引き
- 分かり易い / 分かり辛いの線引き
- リアル / フェイクの線引き
多様な学びがそこにはあり、現時点の生活に於いて大きなヒントになっている。
昨今テレビ離れが進む一方だが、不確定的要素に富んだコンテンツを手放すには尚早すぎる。「知らない・面白くない・必要ない」と咀嚼せずに彼を否定し、主観に沿って得た情報のみが正解と考えることの脆弱性は恐ろしいもので、穿き違えるべきではない。テクノロジーに執着する味気ない生活を送る中で、ちょっとストップして受動的情報の提供に身を委ねる時間があってもいい。
1日中パソコンと睨めっこした時間と、何遍も駆け込んだ喫煙所が恋しい。あの空気感に焦がれている自己には、今しばらく待ってもらう他ない。
さいごに
代わり映えのしないコモディティ化したプランに辟易し、プランBを欲する毎日。便利なものが溢れすぎている世の中で、ニッチな対象に対する面白味を忘却できない自己がいる。
「批判する側ではなく、批判される側に在りたい」
「嘲笑する側ではなく、嘲笑を受ける対象で在りたい」
端から誰しもがイイと思える薄い価値観を並べる気など毛頭なく、ただ誰かの何かに繋がればそれでいい。折しも、アイデアを形としてプロデュースすることに携わる機会を得た。「本・テレビ」といったエンタメと「リアルな体験」を掛け算したサードプレイスの創造に向けて、当分の間はここに僕の目線を遍く残していきたい。