How’s goin guys, it’s Koshin(@k__gx88)
「いつ迄この匂いと付き合わざる負えないのか」その声に耳を傾けながら僕は頭を悩ませた。
腰を上げれば手に届くティッシュを傍目にハンカチで済ましてしまった、たった1滴の醤油を拭き取るために。
「それ、僕?」
その様な感覚を味わうことは度々あったが、使用者になって俯瞰から得るモノもあった。
Get Ready⇨
個性を履き違える
“あれは蛙の仕事だろ”と「リン」は大湯番になることに対し、ひどく感嘆した。突如としていつもとは違う場所に立たされることは、誰だって快く思わないだろう。
まして、それが予想だにしない過酷な環境ならば尚のことである。「千」という鈍臭い若輩者とペアにならざる負えない境遇にも、きっと思うところはあったはずである。
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単なる人数合わせやその場しのぎの配置であればちょっと我慢すれば済むが、恒久的に納得のいかない事象に立たされた場合にはイライラが募る。
だが、状況とは常に成るべくして成っている。枠組みの中で、自分だけは当たるはずのない役割と高を括るのは罪である。たった一瞬の場面であっても、相手はその瞬間に見えたモノを個性と判断する。
自己視点と他者視点との軋轢には正面からぶつかるべきだが、他者視点を蔑ろにするのは滑稽極まりない。自意識に縛られたままでは、何時まで経っても人間にはなれない。
存在証明の難しさ
ティッシュにしろハンカチにしろ、その場に応じて住み分けが用意されている。基本的な動作としては、捨てることを前提として生きて何振り構わず無駄遣いされるティッシュに対して、余命の長いハンカチはどこか勝ち誇ったかのような佇まいでいる。入手方法にしても、これでいっかという妥協点の外に存在し、人間のこれがいいという欲求に忠実に縛られている。
僕は、そんな鼻高の、石鹸の香り漂う濡れた手を拭くことのみを生業とした彼を蹂躙した。嗅ぐはずのない醤油という匂いを染みつけ、苦悶に満ちた表情をする彼。
だが、繊細な扱われ方を望む者を嘲笑う一方で、虐げられた僕自身の過去の声が聞こえたような気がした。
聴き慣れた出囃子が鳴り響き、幕が上がった。板の上まで歩みを進めた瞬間に、“あ、今日は後入りです” と言われた。反対側の袖から意気揚々とマイクスタンドの前に立った者は、観客への挨拶の前に僕を舐め回した。
これまでの景色が逆転し、苦汁でしかない日々の色は黒く澱んでいた。
?
これまで、青臭い頃の全能感が故に恥を上塗りしてきた。「こう在りたい」という自我と「こういうタイプ」と貼られたレッテルとの齟齬により堕ちていく。特徴や武器と思い込み、信じて止まなかった自己の強さ。それらが一瞬にて足元から崩れ去る機会が訪れることがある。
勾留中に頭を冷やして内省を繰り返すが答えは出ず、突き付けられた罪状に我を忘れる。それでもなお、地に足つけ生きていくしか道はない。
僕は、いまだ存在すら叫べない人間である。