How’s goin guys, It’s Koshin(@k__gx88)
どのくらい経てば生ゴミの厭な臭いが鼻につく生活が終わるのだろうか。世間一般的に、同じ様な苦悶の表情を浮かべている人が多いに違いない。
もはや当たり前となりつつある宣言という名の凶器に慣れ、蔓延った価値観に対する正も誤も区別が付かない。蓋をしても追い掛けてくる悪臭を、何とかして断ち切る術を模索し始めた。
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美しさの影
幼少期に夢見たパイロットに成れ公衆便所で垢落としったものの設計家として美を追求し続けた「二郎」は戦闘機を造り続ける。関東大震災が貧困の格差を広げようとも、愛する「菜穂子」が結核により蝕まれていこうとも、ただ彼は自己が思い描く『美しさ』を体現すべく仕事に没頭した。
そこには、時おり姿を見せる「カプローニー」に指摘された “創造的人生の持ち時間は10年だ” という言葉があった。美を徹底的に落とし込み、全てを犠牲にしてでも完成させた零式艦上戦闘機だったのだが、遂には一機として戻ってこなかった。
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10年という時間は恐ろしいほどに早い。この「創造的」を省みた時、砂時計をひっくり返した日は明瞭に覚えており、場所は3年前に滞在していたアデレードの日本では見たことないくらい無機質な公衆便所の個室だった。
新幹線のトイレより勢いのある水洗トイレで、何かを成すことに拘泥しつつ先の見えないことに鬱積している感情が全て「ジュボっ」と下層へと吸い込まれた。水に流そうとは言うが、手品の如き早さで物が無くなると、悩みなど忘れ笑ってしまうものと知った。
そんな今、僕は性懲りも無く快楽と汚辱が混ざり合っては互いに卑しさを加速される怠惰な生活から脱出することを希望している。
反面、宣言を盾に引き篭もっては後退を続けるような時間を過ごし、汚すことに固執していたスニーカーは未だ綺麗なままである。擦り減った踵の分だけ視野が広がると思い歩き回っていたが、今となっては踏んできた泥が形を変えて「ぬりかべ」のように玄関に立ち、外に出る気になれない。
つい先日まで桜だ梅雨だなどと言ってた気もするが、四六時中ずっと蝉が生命を燃やしながら叫んでいる季節となった。彼みたいに定められた時間を持てば遠くまで飛べるのだろうか。否、彼も木で休んでいるではないか。スッーと落ちていく砂を矛盾した自己に呆れながら見つめていた。
飛んでいくモノ
閉塞感に疲れ切っていたのだが、情勢が変わることはないにしろ気分だけでも晴らしたいと思っていた矢先、ドコモのバイクシェアが目に留まった。新宿にいた僕はどうしても潮風に当たりたいという衝動に駆られ、友人と2人でお台場を目指した。
腹の虫が鳴き出せば浅草や築地で魚介類を頬張り、再度サドルに跨っては竹芝や芝浦ふ頭の海岸沿いを南下した。平凡な工場地帯を抜けると、雄大な太平洋と、羽田空港からどこか遠くへと飛び立つ飛行機の群れが我々の眼前に広がった。
帰る途中、用を足す為に公衆便所に駆け込んだ。膀胱のタンクが空になるにつれて落ち着きを取り戻した時、目線の高さに位置する物置台の角の方に「4本のハイネケン」の空瓶が無造作に置かれていた。「ジュボっ」と流れる水の音を聞きながら、ハイネケンを片手に毎日のように談笑していたアデレードでの生活は良かった、と不意に思った。
漠然とした焦燥感への対処法を授けてくれたRiccardoは元気だろうか。日本に遊びに来ることになっているRobinとはいつ再会できるのだろうか。些細なことで帰国の直前に口論したMauricioはハグで迎えてくれるだろうか。
普段はメモリーの奥底に眠ったままになっているだけで、誰かが捨てたゴミから過去それに触れていた時の記憶が蘇ってくる。似たような場所で有れば尚のこと容易だろう。その時分の点が巣穴から這い出てくる蟻のように四方八方に動き回り、何もかも描写だけリピートされるのだが、断片的な記憶は全てを思い出せないゆえに綺麗と感じる。蝉のように終わりがあるからこそ儚く、狂気的な美しさを持っている。
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過去を想い起こしたことで重い腰を上げられ、嬉々としてバイクシェアの返却場所に向かった。未来が決して明るいとは思えない今だからこそ、過去に立ち返って「いま」を再思するのも悪くない。
お尻の痛さが治まったら、夏の匂いが漂う間にもう一度だけ海を目指そうかと思う。