How’s goin guys, it’s Koshin (@k__gx88)
学生という肩書きに縛られた生活を終えて数日が経った。ワーキングホリデーより帰国してからの1年は、放課後に屯した秘密基地での一時が17時のチャイムにて帰宅せざる負えなくなる感覚に等しく、いつの間にか現地点に立っている。
先日、大学生活を回顧してみた結果、僕のテーマは「積極的孤独」と再確認した。ネガティブ要素ある「孤独」に関して個人的思案を記していこうと思う。
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1. 大学生を孤独にさせる要因
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大学生への偏見って極論これに尽きる。僕自身、大学に入りたての頃は、典型的な大学生の枠の中でしか発言権を持っていなかった。一人暮らしということもあり、寂しさを紛らわす為に街に出歩き、興味関心に削ぐわない場に顔を出すことに明け暮れた時期もあった。
だが、そのレールを突っ走った先にあるのは「Normal」に尽きる。1日の中に於いて遊びの時間は限られており、誰しもが家に帰った後、風呂に入る時やベットの上では1人の時間を生きている。自身に必要なモノが何なのか思案しても、答えの在処を探せずじまいで街に繰り出す。
人と違うコトをした先に見える景色が分かっていながらも、その一歩が重くて上がらない経験は誰にだってある。でも、その一歩を踏み込まないと、明るい未来なんて無いと僕は考える。
では、
なぜ、人は自己と他者との距離をできるだけ近くしていたいのか?
なぜ、人は孤独から目を背けたくなるのか?
1.1 SNS上での目に見えた評価
「Instagramは人を変えた」と僕は考える。目先のイイね数に固執し過ぎな狼たちは、人間関係など二の次で、自分本位で物事を進めていく。
断っておくが、自己顕示欲を前面的に出すことを否定しているわけではなく、周りが見えなくなり人間関係を希薄化させている現状には待ったをかけたいと思っているだけである。敷かれたのか敷いたのか、不毛列車に乗る者が僕の周りにはウジャウジャいた。フォロワー数・いいね数・投稿写真でのみ人を測り、そこにしか価値を見出せない彼らの生き方を敢えて否定しない。
ただ、そこでの人物像と実際の個性との反比例によって起こる齟齬に、幾度首を傾げたか分からない。多くの人はフェイクなリアルに翻弄され、自分には無いモノを見たことで悔しさを感じ、自分の居ない場の雰囲気の良さに憤りを覚え、自分の存在意義を見失う。
綺麗な面だけが人生ではないにもかかわらず・・・
Face to Face の良さはどこに行ったのか?
1.2 合理的人間関係の中での自分本位な要求
スマホ1つで、何時でも何処でも誰とでも繋がることができる現代社会。その反面、自分のタイミングでメッセージを送り、相手方がスマホを弄っていることを当たり前と捉え、連絡が来ない・遅いことに憤りを感じてしまう。ストーリーを投稿しているにもかかわらず、Lineを返してくれないという短絡的なモノの見方からの不安に、頭を抱える人も多いかもしれない。
逆説的に、疎外感を味あわない為に早くレスポンスすることに躍起になることだってあるだろう。ではなぜ、このスパイラルに陥るのかと考えてみると、繋がりたいと思っている人とのみ繋がる時代に生きているからとしか言えない。
突然ですが、オーストラリアでのワーキングホリデー生活が始まった2週目にして僕はiPhoneを失った。
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ちょっとしたアナログ化の生活の上で成り立った僕の目線でしかないが、繋がりたい人だけとの付き合いに縛られ、レスポンスの有無・時間を互いの人間関係にまで落とし込むのは尚早でしかないのでは?
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