Koshin

Esaay

公衆便所で垢落とし

生ゴミの厭な臭いが鼻から離れない生活が続いている。世間一般的に、同じ様な苦悶の表情を浮かべている人が多いに違いない。もはや当たり前となりつつある宣言という名の凶器に慣れ、蔓延った価値観に対する正も誤も区別が付かない。蓋をしても追い掛けてくる悪臭を、何とかして断ち切る術を模索し始めた。
Esaay

精神が弱っている時には映画館へ

何だか気分が乗らない日が続いている。特段、身の回りの世界が変わった訳でないが、見飽きた時計が今日も針を動かしていることに嫌気が差してきた。「お前に現実を知らせる為に私は動いてやっている」と聞こえたような気がする。そんな生意気な時計をベランダから放り投げ、僕は暗闇に足を入れた。
Esaay

ブルドーザーが怖い

「君は何をしても続かない」と後部座席から聞こえてきた。肩を回すフリをして目線を向けると、図体だけ一丁前のAと悲しげに俯向くBが座っていた。なぜだろう、いつか同じ様に倦ねていた頃の僕を想起させる。少年よ、「継続力が無い=悪」という皆が正と信じて疑わない教義には、耳を傾けずともよい。
Esaay

カボチャパイの人生

「久し振り」と小箱を携えて笑う彼女が放つ甘い香りが鼻を刺激した。並べられるケーキが僕等の顔を明るくする。だが、最後の1つが皆の顔色を曇らせた。これしか無かったという台詞が流れていき、誰がこのハズレを担当するのか、と皺を寄せながら思案する。御礼を言いつつ醜い顔色で互いを伺いあった。
Esaay

薄暗い世界に亀と兎

端から君のことなど信じてない。その過信に満ちた表情で寝そべり、ノロイ僕を見下す狡猾な目尻にはウンザリしている。僕だって君の呑気な態度を見るたびに虫唾が走る、あゝ、背中が痒くて仕方がない。その硬い甲羅を束子のように使わせてくれたら好きになれるかもしれない。この様に喧嘩は続いていく。
Esaay

侘しさを思い起こす珈琲

焦燥感に駆られながら見た空は白く泣いていた。「あの子」が笑わなくなったのは一体いつからだろう。耳元の囁きが僕の思考を歪める。それが過去の偶像なのか未来からの警鐘なのか、と思案していると「きゅー」とけたゝましくケトルが鳴いた。嗜みを覚えた珈琲の香りが答えの在処へのヒントに成り得た。
Esaay

声帯を忘れたニワトリ

忽然と居場所が分からなくなった。数日前まで痛みのあった足の裏は、破壊と回復を繰り返し石のように固い。名前も知らない歩道橋の端に腰掛けて靴紐を結び直す。風に乗ったゴミが眼に侵入し、考えるより先に中指が目を痛みつけた。ぼんやりとした視界が透明になった時、聳え立つビルに顔を覗かれた。
Esaay

味のしないユーカリ

「それ違うって伝えたの忘れました?」僕は不愛想になりながら飼育員に対しそっぽを向いた。君の様な思考にはこれで十分と云わんばかりの顔をしている彼から差し出されたモノ。剝き出しのユーカリが僕を逆撫でる。与えられたものに1つもピンと来ない。僕の何を知っているのか、皆目検討もつかない。
Esaay

豆腐と僕

心なしか此処のところ厭に豆腐が目につく。「生姜と醤油」さも最適かのような組み合わせに、うんざりしてきた。「冷やっこ」として成立し、あと一品の代表格であるサブ的存在に対し、時間をかけて可愛がるつもりなど毛頭ない。今日もまたフィルターを外し、残り汁を流し棄て、雑に割いては盛り付ける。
Esaay

ティッシュとハンカチ

「いつ迄この匂いと付き合わざる負えないのか」その声に耳を傾けながら僕は頭を悩ませた。腰を上げれば手に届くティッシュを傍目にハンカチで済ましてしまった、たった1滴の醤油を拭き取るのに。「それ、僕?」その様な感覚を味わうことは度々あったが、使用者になって俯瞰から得るモノもあった。
Book

廃れゆく街の書店に生きる価値とは?

動画サービス全盛の時代、文章を読むという行為自体が減少している。時代の盛衰によって、全ての書店がかつてのような活気に満ち溢れたスペースであるとは言い難い。紙の本での読書という習慣は、一部のマニアの趣味かファッションとしての位置づけに変わっていくのかもしれない。そうなる前に、書店でしか味わえないモノについて触れたい。
Life

時には合理的思考から隔絶したい

何者かになりたい僕らは常日頃から頭を悩ませている。損得感情に身を委ね、本当に必要なモノを見失い、偽りの自分を演じる。現状の壁に押しつぶされ、疲弊感に荷が重くなり、規則的な足跡が深くなる一方である。そこで、凝り固まった感情を払拭すべく時には脳裏に浮かんだ欲求のままに行動してみては、といった話を。
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