Esaay

Esaay

煙の出ない玉手箱

大学3年の期末試験が終わり、ワーホリでオーストラリアに飛んだ。2019年に帰国してから6年目を迎え、社会人5年目も終盤に差し掛かった。あの時分は「若さ」という青臭い全能感に溢れていた。でも今思えば、夢みがちの少年には牙が生えていなかった。
Esaay

ピンポンゲームと化した日常会話

大人になるにつれ日常的に「自分は何者であるか」という表明をする機会が増えた。仕事は…好きなことは…等の箸休め的な挨拶のことである。「1秒で話せ」「10秒で伝える」みたいな自己啓発本が流行するなか、僕は波に乗りきれずに地団駄を繰り返している。
Esaay

週刊誌との出会いは病院だった

僕は週刊誌が好きだ。最近は専らオンラインの記事に触れる機会が増えたが、時間があれば本屋で立ち読みするし特集によっては購入もする。初めて週刊誌をレジに持って行ったのは高校3年の秋だった。ただ、それはニュースを読みたいからではなかった。
Esaay

幸福とは他者を笑わせること

小さな嘘を吐き続ける少年がいた。それは、プライドを守る為や自身を誇示する為という類のモノじゃない。ただ周囲の人間を笑顔にさせたいという一心から、つい口から虚言が飛び出してしまう。小さき道化師は、幸福の在るべき姿を熟知していた。
Esaay

無我を探すため山を歩く

周囲とのズレにより満たされない日常が続き、何をするにしても倦厭の二文字が頭を過ぎる。ビルを仰ぎ見て溜息をついては今日も地下鉄に乗り帰宅する。マスクの下で作り笑いを浮かべて適当に場を凌ぐのは止め、誰にも邪魔されない神聖な山へと今日も出掛ける。
Esaay

夢想者は耳で息する

臭い物に蓋をしたくなるような出来事は前置きなく訪れる。家に温かく迎えてくれる家族や恋人が居れば、少しは人間味を取り戻す助けとなってくれるだろう。だが、独り身の僕は、ラジオでも聞きながら仄暗いトンネルを静かに歩くしかない。
Esaay

日常に小さな笑いを

暗い淵の底から這い上がる術は「怒り」であると思っていた。微かに見える希望をも蝕んでいく絶望は、それを掻き消すほどの憎悪をもてば良い。「悔しさをバネに」などの生半可な気概ではなく、傷害さえも厭わないほどの凶暴性こそが道義とさえ信じ込んでいた。
Esaay

公衆便所で垢落とし

生ゴミの厭な臭いが鼻から離れない生活が続いている。世間一般的に、同じ様な苦悶の表情を浮かべている人が多いに違いない。もはや当たり前となりつつある宣言という名の凶器に慣れ、蔓延った価値観に対する正も誤も区別が付かない。蓋をしても追い掛けてくる悪臭を、何とかして断ち切る術を模索し始めた。
Esaay

精神が弱っている時には映画館へ

何だか気分が乗らない日が続いている。特段、身の回りの世界が変わった訳でないが、見飽きた時計が今日も針を動かしていることに嫌気が差してきた。「お前に現実を知らせる為に私は動いてやっている」と聞こえたような気がする。そんな生意気な時計をベランダから放り投げ、僕は暗闇に足を入れた。
Esaay

ブルドーザーが怖い

「君は何をしても続かない」と後部座席から聞こえてきた。肩を回すフリをして目線を向けると、図体だけ一丁前のAと悲しげに俯向くBが座っていた。なぜだろう、いつか同じ様に倦ねていた頃の僕を想起させる。少年よ、「継続力が無い=悪」という皆が正と信じて疑わない教義には、耳を傾けずともよい。
Esaay

カボチャパイの人生

「久し振り」と小箱を携えて笑う彼女が放つ甘い香りが鼻を刺激した。並べられるケーキが僕等の顔を明るくする。だが、最後の1つが皆の顔色を曇らせた。これしか無かったという台詞が流れていき、誰がこのハズレを担当するのか、と皺を寄せながら思案する。御礼を言いつつ醜い顔色で互いを伺いあった。
Esaay

薄暗い世界に亀と兎

端から君のことなど信じてない。その過信に満ちた表情で寝そべり、ノロイ僕を見下す狡猾な目尻にはウンザリしている。僕だって君の呑気な態度を見るたびに虫唾が走る、あゝ、背中が痒くて仕方がない。その硬い甲羅を束子のように使わせてくれたら好きになれるかもしれない。この様に喧嘩は続いていく。
Sponsored Link