侘しさを思い起こす珈琲

Esaay
This article can be read in about 3 minutes.
Sponsored Link

How’s goin guys, It’s Koshin(@k__gx88

 

焦燥感に駆られながら見た空は白く泣いていた。「あの子」が笑わなくなったのは、一体いつからだろうか。耳元の囁きが僕の思考を歪める。それが過去の偶像なのか未来からの警鐘なのか、と思案していると「きゅー」とけたゝましくケトルが鳴いた。

嗜みを覚えた珈琲の香りが答えの在処へのヒントに成り得た。

Get Ready⇨

Sponsored Link

虚勢

 

自身に関わりのない美に無頓着な「ハウル」は終始どこか心ここに非らずな装いであり、人を騙すことに長けている。内なる寂しさや弱さをプレイボーイを演じることで緩和し、何とか自我を保って生きる毎日を過ごしている。

だが、掃除婦のお節介により棚の呪いに綻びが生じ、変色な髪の醜さに耐えられかった彼は次第に変貌していった。身体が溶け始め目も当てられなくなった頃、美に引けを感じている「ソフィー」は彼に罵声を浴びせたと同時に外に飛び出した。雨に濡れながら泣きわめく彼女は、少しだけ若く見えた。

_ _ _

黒いスチール缶を片手に故郷を離れるべくして乗った夜行バス。見知った景色が少なくなっていくのと比例して涙が頬をつたう。トンネルを抜けるごとに心拍数が音を奏でだし、期待でも不安でもない何者かが僕の心を乗っ取ろうとした。

一方で、籠の中で縛られた生活からの解放には胸が鳴ったのも事実だった。知らない土地への一歩は、微かに見えた島の面影を追う海賊船のようなもので、無味無臭の世界からの脱却でもある。そこに宝がアろうとナかろうと、船は帆を休めることを知らない。

しかし、どうだろうか、東京という大都会にて宝を発見できない僕は未だに憎悪を露にしている。イメージとは異なる生活が続き、浸った表現に酔狂と揶揄される。目に見える全てを敵とみなし、スポーツマンシップに則っていた当時の僕は死んだ。

「カルシファー」に心を捕られたみたい。

 



 

破り切れない殻

 

実家の二階に上がることに恐怖心を覚えなくなった日、今までは近づくことすら出来なかったトイレに入っては網戸に鉛筆を刺した。区切られた小さな網目を広げた時、自分の中で何かが壊れるのを感じた。外へと投げ捨て地面に叩きつけられた鉛筆の音が、内から湧き上がる敵愾の合図とさえ思えた。

自己の感覚に従うことと他者の矯正による行動の差異が、集団生活における順応性に疑問を投げかける。物事を複雑化して考える癖を持つと、どうやら周りからは距離を取られるらしい。

綺麗なモノには蓋をし、聞こえの良い言葉には耳を貸さなくなり、醜悪なモノからこそ美しさが滲み出て、黒く尖った物言いにこそ真実が備わっていると感じるようになった。幸福を履き違えた者の言葉など聞くに堪えない汚物であり、愛情と美徳に溺れた阿呆である。世俗的な観念に束縛されていては、真に欲情なる自己など解放できない。

だが、どうだろう、通用に生きる者であっても虚言を吐き、肉情の露骨な暴露を厭に避けて通っては、笑っている。そのくせ無知な者は彼らに喝采を浴びせ、さも眩い光でも見ているかのような面をする。

一体全体なにが美徳で不徳なのか。諦観を目論むことは間違いなのか。あと何度ゴルゴダの丘で風に当たらねばならぬのか。

未だ、僕は何も分からない。

 



 

 

「おかえり」が聞こえてこないアパートに帰るのに抵抗など持ち合わせてない。六畳一間、嘘に塗れた水の底かと訝るほどの暗い部屋。いつものドリップ珈琲をセットしても、徐々に増していく匂いに鼻は踊らない。「あの子」はラテが好きだったことが頭を過る。

少しだけ牛乳と砂糖を入れるも、あの味はしない。

Copied title and URL