ピンポンゲームと化した日常会話

Esaay
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How’s goin’ guys, It’s Koshin(@k__gx88

 

大人になるにつれ日常的に「自分は何者であるか」という表明をする機会が増えた。仕事は…好きなことは…等の箸休め的な挨拶のことである。

『1秒で話せ』『10秒で伝える』みたいな自己啓発本が流行するなか、僕は波に乗りきれずに地団駄を繰り返している。

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吃音との闘い

吃音症には「連発・伸発・難発」の3つのタイプが存在する。日本では「100人に1人が発症者」というのだから決して珍しいものではない。

かくいう僕も難発に悩まされている一人だ。気心の知れた友人との会話では問題視するほど気にならない。多少は話しづらさを覚えることもあるが、言葉が出にくいからこそ会話の端々に注意して自分のペースで発言している。

 

しかし、例えば重苦しい会議室や友人とは言えない間柄の人間とのコミュニケーションになると一変する。少しずつ言葉が頭から消えていくように口が回らなくなってしまう。首肩が強張り、嫌な汗が背筋を伝うことも多々ある。ボキャブラリーの欠如なのか頭の回転が遅いのか、自分でも判断がつかない。飲食店やコンビニで店員さんから話しかけれたとき、簡単な受け答えさえままならないことだってある。

 

場合によって驚くほど流暢になるのも厄介だ。いつも不自由なく話していた人間が急に話さなくなるので、周囲からすると機嫌が悪いのかもしれないと気を遣わせてしまう。大概そんなときは「話したいときに、話したいことを、話せていたのに」と頭の中では問答が繰り広げられている。

「ちょっと言葉が出づらいことがあって」なんて公表できたら楽なんだろうけど、その発言により場の空気が汚れる可能性があると思うと言い出せないことが多かった。

 

幸いにも僕の発声に対して違和感を覚えたとしても、直接的に陰湿なことを言ってくる人間はいなかった。とはいえ、スムーズな会話に慣れた者からすれば少し扱いに困っていたかもしれない。



趣味を履き違える

冒頭で挙げた『自己表明』に話を戻そう。初めましての際は「趣味は何ですか」と話題が進むことが一般的だが、この「趣味」とは何か。

『暇と倫理の倫理学』(著:國分功一郎)には下記のような説明が見られる。

辞書によれば、趣味はそもそもは「どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方」を意味していた(『大辞泉』)。これが転じて、「個人が楽しみとしている事柄」を指すようになった。

時代背景など無視して進めるが、要するに、例えば「カメラを首から下げて街歩きするのが好き」な場合、当時は決して「カメラ」を趣味とは言わなかったと思われる。あくまで「自分の目の前に広がる風景や対象に違和感や興奮を覚えて記録したいと思う」ことが趣味であって、その為の媒体がカメラなだけである。

 

僕が経験し得る限りの狭い環境下では「カメラが趣味でして…」なんて聞こえてくることが多かった。どんな被写体が好きなんですか、カメラを持つようになったキッカケは何ですか、参考にしている写真家さんいますか、のように話が続けばいい。だが実際どうだ、写真が見たいと言ってカメラロールを漁っては上部だけでキレイと言われることが大半のように思われる。

 

これら一連の会話をスポーツに置き換えてみたらどうなるか。

サッカーのように徐々に自陣からボールを回しながら攻撃するもの。バレーボールのように3タッチ以内で相手側にボールを返さないといけないもの。バスケのように決められた時間内に必ずシュートしなければいけないもの。それぞれスポーツにはルールという個性が存在する。

 

何が言いたいのか。

昨今のビジネスシーンで取り上げられがちな『端的に話せ』という概念は、知らず知らずの内にビジネスを必要としないシーンにおいてもコミュニケーションの根幹を形成するうえで欠かせないスキルのように人々に擦り込まれてきた。これでは一語一句に忠実に耳を傾けて個人の思想や趣深さやユーモアを探り合うといった時間を要する会話は嫌厭される。

話しづらさを知っている人間の穿った見方かもしれないが、僕は、あれこれと矢継ぎ早に交わされる情報に圧迫死されたくない。今日はこの辺でといった塩梅でいいから、少しの蜜に集って意見を交換し合いたい。タイパ思考から脱却し、分かりにくいことを分かろうとする時間を、たまに持ちたい。

 

要するに短期間で何かをしなければいけないスポーツではなく、僕はサッカーが好きだ。




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話し出すタイミングを計ったり、言い換えの言葉を考えていたり、次の言葉を発するのに時間を要する。その “間” を気にせずに待ってくれる人もいれば、顔色を変える人もいれば、まだ自分のステージが続いていると錯覚して無神経に話を続ける人もいる。

まるでピンポンのように瞬間のラリーが行われるように感じる日常会話。そうやって様々な扱いを受けながら、それでも「いま最善の言葉は何か」を丁寧すぎるほど考えて口を開いている。

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