This’s a Koshin’s Book

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How’s goin guys!!

It’s the first article from Koshin (@k__gx88)

 

Koshin’s Book」の汽笛が聞こえるか。

当ブログを通して、大学生活・ワーキングホリデーなどにフォーカスし、私自身が感得してきた多くのものを表現する。

初回は、さっと処女航海への最終チェックとでもいいましょうか・・・

Get ready ⇨

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1. ’bout me

  • 富山県の小さな港町出身の2327歳
  • 大学3年次修了後に休学し、オーストラリアでワーキングホリデーを経験
  • 出版業界に入社予定の片隅でYouTube動画編集を担当

2. 高校サッカーでの挫折と浪人という道

まず初めに高校生活を総括すると、私にはサッカー部であったという過去しか存在しない。しかしその事実は、膝の怪我に泣き崩れた決して明るい思い出ではない。

国立最終章の舞台が歓喜に包まれる中、どこか知らない世界に置いてきぼりにされた感覚を今尚忘れない。1週間後にセンター試験を、その2週間後には私大受験に挑むも全敗。

何事もなかったかように浪人というレールが目前に顔を出した。

3. 偏差値35〜60への闘い

東京での浪人生活を選択した私は、寿司屋でのアルバイトと毎日の講義に明け暮れたが、5月に行われた河合塾の模試で不覚にも笑ってしまった。

3教科の偏差値が「35」であり、最下位であったことは言うまでもない。親元を離れ、知らない土地での孤独な闘いが私に牙をむいた瞬間であり、自ずと気合が入った。

朝から晩まで予備校に浸り続け、分厚い参考書との睨めっこを経て、翌春から吉祥寺大学への入学が決まった。

 

 

4. 大学とは?友人とは?

「法学部法律学科」

何とも響きの良いフレーズである。

だが、憲法・民法・刑法etc…以上に私は100%の気力をサークルやアルバイトに注ぎ、浪人時代の枷を瞬く間に外したが、その代償は大きかった。1年間の総単位数「21」と、2年次以降のキャンパスライフが一変したのは想像に容易い。心機一転して六法を睨み、時間を忘れ図書館にこもった日々のおかげで卒業がすぐそこに迫っている。

だが、勉学に励む一方で、友人関係に目を向けると乗り切れなくなりつつある自分が在ったの事実。「やれファッションが、やれあの子が」などと、酒とタバコで笑っていた頃が嘘であったかのように楽しみを見出せない日々が続き、単独登山や美術作品の鑑賞や制作だけが全てであった。

そんな折、Sports Pub でのアルバイトが一つの転換期となり、社会人とのコミュニケーションが私を形成したと言っても過言ではない。又、多くの外国人のお客が指針となって英語にフォーカスせざる負えなくなり、漠然としていた外の世界が必然性へと変わっていった。

5. 無計画の海外挑戦は無謀ではない

コミュニティに固執した生活に於ける満足度と成長度合は比例しない

そう考えた私は、パスポート・航空券を握りしめオーストラリアの地に足を踏み入れた。

家も学校も決めず、現地使用可能なスマホ(simフリー)を持たず、何より保険にも入らなかった。

断っておくがバカではない。ただ、前もった計画に縛られた行動は可能性の妨げになると信じてならなかっただけである。

何かしなければいけないという焦燥感に駆られながら過ごした10ヶ月間のオーストラリアでの生活は、私に何重もの皮をむかせ、確固たる価値軸を持つことの重要性を説かせた。壁と独り向き合ったり、意味もなくハエを目で追ったり、公園のベンチで気付くと深夜を迎えていたりと、決して毎日が光っていたわけではない。

しかし、何か物思いに耽りながら帰宅する私に対し、おかえりと言ってハグしてくれるイタリア人・コロンビア人・オージーの支えには頭が上がらない。

何が好きで、何にフォーカスし、何処で個性という能力を発揮できるのか

毎日のように共に舌鋒を交わしたことで、不毛列車は次第に速度を落とし、新しいレールを敷き直すことができた。

 

6. 2327歳が伝えたいこと

「あなたの好きなものは何ですか?」

と唐突に聞かれた際、間髪入れずに ** と応えることは可能か。

「あなた自身を端的に表現すると?」

という突拍子もない質問に対し、一言で自身を伝えることは可能か。

Comfort Zone」から一歩外に飛び出した時、価値軸を持たない者の言葉は必要とされない「自己とは、他者とは」と真摯に自問自答を繰り返すことが自己表現の初手であり、社会に出る前に行うべき必要最低限の学びと捉える。

さいごに

人は、何か出会い頭の物体や光景に心踊り狂うものではないか。又、人には処処転換期が在り、細分化に着目することで自己という本質に自然と耳を傾けることができるのではないか。

当ブログが、何か新しい価値観を創造する「点」となることを願うばかりである。凪いだ水面に朱く照らし出された錨が顔を出した。

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