How’s goin guys, it’s Koshin(@k__gx88)
文化や一般的な生活様式を理解するため、その国に長期滞在する事ができる制度である「ワーキングホリデー」選択肢の幅を目前に捉えた瞬間、外の世界を知らない無垢な稚児に戻った感覚に陥る。まっさらなノートに沢山の色鉛筆で描くストーリーは、水を得た魚のように活きた道筋を照らし出す。
自由であるからこそ、常に葛藤が傍らに顔を出してくる数ヶ月。でも、その数ヶ月を過ごす為の扉を開くのが思い人も多いのではないか。今回は、大学3年を終えた僕が、休学を選択してワーキングホリデーに挑んだ理由について触れていく。
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1. 拘りの矛先って何処なのか
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「頭が悪く取り柄が無いからこそ、その現状を変えたかった」1年次の頃から、何1つとして武器がないことへのコンプレックスを持っていたからこそ少し違うレールを走ってみて虚栄心を張っていた。人が知らないような雑学的な知識を覚え、披露しては立ち位置を確保したことに安堵するような生活に限界が訪れた。
「なんかちがう」
向けるべき熱量を持ち合わせていない生活が、この上なく苦痛であることを知った或の日。吉祥寺という街のネオンから目を背け、後ろ髪を引かれながらも足早に帰路に着く或の日。大学生活2年目にして、他者との差別化を図るレールを敷き直す作業に専念するようになった。
2.「ワーホリ」という板の上
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何事も人生の踏ん切りをつける過渡期には、「変える必要がある3つのモノ」が話し掛けてくる。
以下の3者をどう捉えるかで、進むべき道って結構変わると考える。
- 習慣
- 人間関係
- 環境
「慣れることは怠惰を生むこと」と感じるようになっていた僕は、この3つを修正することから始めた。
- 読書の頻度を増やし、見識を広げ感性を擽る
- 積極的に独りの時間を創造し、「好き」の対象を確立
- Sports Pubでのアルバイトを通し、対人スキルを磨く
このように具体的な変化を加えてみたことにより、生活に於けるモチベーションは満たされるようになった。でも、変わりつつある生活であったとしても、唯一変えられないのは「大学生」という立ち位置だった。どんなに本を通して文豪と会話しようが、趣味を謳歌しようが、バイト先のSports Pubでお客さん等と初めてのトピックを繰り広げようが、どこまでいっても学生の枠の内で済まされてしまう。
大学3年間までの経験値でしかプロットを組むことができない自我との対立によって、21歳という素の「人間」で1から何かを爆発させることへと心変わりを始めた。海外に移ることでしかこの焦燥をコントロールする術はなく、延いては「ワーホリ」でしか打開することが不可能とさえ考えた。何故なら、帰国後の他者との衝突の際に言い訳がきかないから・・・
何処までいっても「自由」なワーホリには、逃げ道が沢山ある。ただ裏返すと、その逃げ道を踏まない生き方をすることがゴールであるとも汲み取れるから。
3. 暗い場所から見たい光
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選択肢が多いからこそ、数多の登場人物と共に踊れる「ワーホリ」という板。その上には、交換留学生では登ることができないと思っていた。
- スケジュール
- 友人関係
- 生活スペース
といった様に、縛られてしまう面が付き纏ってくるから。無論、海外生活での主軸が「勉強」の場合、疑いなく協定留学の方をオススメする。
だが、身軽なワーホリでは、
- 都市
- シェアハウス
- アルバイト
- 語学学校
- 交友関係
といった様に、限られた時間軸のなか自分のタイミングで何度も開演ベルが鳴り響き、その都度アドリブで自己を演じきらなければいけない。スポットライトが当たることもあれば、時に草場のエキストラとして場の空気を読む必要もある。だからこそ、ワーホリの魅力に惹かれオーストラリアに飛び出した。
転がり込んでくる様々な変化を「予期し・探知し・適応し・楽しむ」ことができれば、違う自分にアップデートされていると疑わなかったから。これほどまでもアドベンチャー気質溢れる機会は、人生の中でも多くはない。より多国籍の環境に身を置いて、仕事や遊びを通して異文化の価値観を共有することに対するマイナス面を挙げることができるだろうか。
さいごに
ゴールは決めるべきだが、この様にぼんやりとした動機の1つや2つあってもいいと思う。大学生という最も多感で悩ましい時期に、海外での生活が欠点となる筈がない。巷に溢れたあるメリット・デメリットなどを頭に入れる必要などなく、休学を恐れることは罪とさえ思える。
それぞれのストリートで、その人の色が出せる折角のチャンス。他者の目線や意見に惑わされず、軸を信じた方が良い・・・