声帯を忘れたニワトリ

Esaay
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How’s goin guys, it’s Koshin(@k__gx88

 

忽然と居場所が分からなくなった。数日前まで痛みのあった足の裏は、破壊と回復を繰り返し石のように固い。名前も知らない歩道橋の端に腰掛けて靴紐を結び直す。風に乗ったゴミが眼に侵入し、考えるより先に中指が目を痛みつけた。

ぼんやりとした視界が透明になった時、聳え立つビルに顔を覗かれていた。

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悪しきは上なりや

 

戦火が街を呑み込んだとしても、屈託のない笑顔の兄妹がそこにいた。軍人を父にもつ誉高き「清太」の目はどこか死とは反対の景色を眺め、ただ「節子」に悲しみを覚えさせない為に道化を演じた。鉄棒で器械体操の選手を演じたり、仕事中の人を傍目に海できゃっきゃと遊んだりするシーンも、刹那的な儚さがある。

だが、14歳と4歳という幼子だけで生きていけるほど、当時の日本は甘くなかった。「お国の為に」という全体主義の境遇にも懸命に生き延びようとしていた。

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「右向けぇ右」幼子の頃から、この言葉が得意ではなかった。耳に入ってくる指令と、脳が体に送る指令とに齟齬が生まれ、何食わぬ顔で左を向いては叩かれて笑いをとっていた。

小学4年の頃だったろうか、写生大会にて「晴天に生えた糸瓜」という題が出された。皆が一斉に筆を進めた結果、「背景上部は空色で下部は土色、糸瓜は2本」とどれも色がなかったのを記憶している。色塗りが人よりも遅かったということもあり、「背景も上部下部ともに焦げ茶、糸瓜は大小4本」と偏った作品を仕上げたことがある。僕が座っていた位置からは空の色なんて見えなかったもの。

規約という秩序に忠誠を誓う他に道のない集団では息ができない。蓋し或る学校では違反者に酸素ボンベを配っている。

 



知らない顔ぶれ

 

上京して何年になるだろうか。

トランクの弱々しい取っ手を握りしめ鍵を開けた六畳一間の殺風景のアパートは、今となっては僕の好みが躍り狂っている。最低限のモノしか集めない質な故、どれもこれも手にした日をすぐ思い浮かべることができる。

だが、一歩でも外に出てはどうだろう。笑みと痛みを教えてくれた吉祥寺という街から人がいなくなった。汗臭いからと家に入る前に雨でシャンプーを流した日。痙攣するまでスケートボードに乗って遠くの見知らぬ街を目指した日。下らないことを下らないと片付けず、只々飽きるまで笑い飛ばしていたが、今となっては多くを共有した友は誰一人として顔を出さない。

突き当たりの角を曲がった際、ワッとぶつかりかけた者が「彼」であって欲しいと何度願ったことだろう。月夜が蠢く井の頭公園の水面を見ては、成長していない自分が映し出されている様な気がする。暗闇の中ゴウゴウと音を立てる木々は、荒んだ心の音と共鳴しながら今にも僕に襲い掛かろうとしている。過去に名残があろうと、夢に続きを与えたいと思い倦ねようと、止まった時間の先に未来を見出したいと願おうと、自分一人で叶えることはできない。

生きている場所は違うだけで同じ時間が流れているはずだが、何故か僕の時計の針は動いてはくれない。

 



 

「あの頃」はとうの昔に滅びた。

爪先が挨拶こそすれど同じ方向に向かって並ぶことはもうない。今日も空を眺めながら我慢を覚える日常が続いていく。消えそうな火垂るのような尊い光を針路に、ビルからの後ろ指に後退りしつつも歩き始めた。僕はここにいる、「コケコッコ」と一度だけ鳴いた。

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