煙の出ない玉手箱

Esaay
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How’s goin guys, It’s Koshin(@k__gx88

大学3年の期末試験が終わり、ワーホリでオーストラリアに飛んだ。2018年に帰国してから6年が経ち、社会人5年目も終盤に差し掛かった。

あの時分は「若さ」という青臭い全能感に溢れていた。でも今思えば、夢みがちな少年に牙は生えていなかった。

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熱狂ゲーム

僕が大学生のころの風潮として、世間では「自分とは何者なのか」という問いが繰り返し取り沙汰されていた。ソレに対するアンサーを探すべく荒野を歩き回る人が増え、マウント合戦のような醜い腐敗臭が漂う空間が至る所に広がっていたように思う。

荒野と言えば聞こえはいいが、その実態はネットの渦から体裁の整った文脈を切り取って自分事化する作業でしかない。人が知らない情報を収集しては、さも「自分が経験したことがある」または「自分で得た知見である」かのように話す口上手な者たち。行動が伴っていないペテン師の薄さときたら苦笑いする外ないと何度も思った。

だから僕はワーホリを選択した。そしてオーストラリアでは自分の口だからこそ伝達できる変え難いモノを得たと思った。

渡豪して1週間ばかりでオージーやイタリアンとのシェアハウス生活を始めたことで、多文化に触れ合う時間を確保した。どこに行くにしてもマップを使わずに道ゆく人に尋ねるようにすることで、あまり得意ではないコミュ二ケーションを克服していった。

在豪邦人向けのニュース媒体を扱う会社に在籍した際には、飛び込みでの広告営業とアート作品の翻訳記事制作を担当した。とくに記事を書くという体験は創作することでしか感受できない光のようなモノに包まれたと思った。

ただ振り返ると、結局は僕もマウント合戦に繰り出そうと虎視眈々と準備していたゲーム参加者の一人に過ぎなかったのだ。そして何かを得たと勘違いした者の先行きは、たかが知れていた。



静まり返った夜

シェアハウスに住んでいた頃は夜が待ち遠しかった。テーブルを囲んでタバコを吸い、その日の出来事を話すことから始まる。それぞれ帰国した後のプランや理想のライフスタイル、恥ずかしい失敗談から性癖まで何でも笑いながら語り合ったものだ。シェフとして働くイタリア人のRiccardoとは『Life Is Beautiful』で盛り上がった。カメラマンだったコロンビア人のMauricioとは「アングル・構図」について話し合った。

でも今は、狭いアパートに寝るために帰るだけの日々が続いている。

毎日12時間ちかく黙々と動画を編集し、帰宅するのは22時前後だ。仕事に大きな不満があるわけではない。作業自体は変わり映えのしない工程だが、動画ごとに異なる素材を料理するのは楽しい。

他者からは「文化を支えるような仕事で羨ましい。手に職が持てて良いじゃない」なんて言われることもある。少なからず意義のある点は認めているが、そもそもエンタメという余暇に意味を求めるのは難しいと思える。実生活に必ずしも必要とされない仕事は実感が湧かないのだ。

その意味では副業で細々と続けているライターもそうだ。雑誌やWebの企画でスポットで記事構成を担当することを始めて4年くらい。大企業の会長、著名な医師、芥川賞作家など多くの方に話を伺った。

ある編集者から『ライターは空っぽの方が適している』と教えられた。あくまで僕の場合だが、元から気になっていた事柄や会いたかった人に取材することは少ない。その場で起きた熱を原稿に乗せるから偏りのない記事が生まれるのか。そこに僕の趣味嗜好が介在することは皆無に近く、駆け出しのライターの存在を気にする人間なんてゼロだ。

ただ、ライターとしての名前を得たことで自分ではない別の自分が誕生したと舞い上がり、全てが原稿対象に思えた時期もあった。普段なら近づかないような場所に行ったり交わることのなかった人と話したりと、明らかに習性に変化が見られた。逆に取材だからと、今まで関心に蓋をして行動していなかったことにも躊躇なく手を出すようにもなった。

馬鹿らしくて恥ずかしいよ。

空っぽであることを履き違えている。

何が好きだったか何が楽しかったか今は思い出すことができない。自分ではない自分が一人歩きし、眠りにつく頃には満足でも快楽でも無い感想と共に、その空虚な行動記録をセーブする日々。何年も減ることない飴を舐め続けているみたいだ。もうどれが本来の僕なのか分からなくなってきた。



何もしたくない時や落ち込んだ時には映画館に逃げると前に書いた。
精神が弱っている時には映画館へ

今では映画館に行く時間すら思うように掴めない。何度も視聴したことのある映像を流しているだけの時間が増えた。何も考えずに済むからだ。

ワーホリで得た知見は確かにキャラクター形成の1つになっていると思える。でも、渡豪する前の僕は、1年後は想像つかない程の新しい自分が生まれていると疑わなかった。

バカみたいだ。玉手箱を開けても老けるどころか何も入っていないじゃないか。

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