ノスタルジアには未来永劫お金を払うだろう

Life
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How’s goin guys, it’s Koshin(@k__gx88

 

ふとした瞬間に在りし日の思い出に浸ることは誰にだってあるのではないか。

「ビニール傘に滴る水玉越しの空の色」

「木枯しに共鳴する囂然たる高潮の音」

「妄りがましさを想起させるマテバシイの匂い」

ちょっとした何かによって郷愁の思いに駆られたり、古い友人に向けて一報を綴ってみたり、あの頃の駄菓子を探してみたりと、人それぞれ馳せる対象を持っているだろう。

年を重ねる日々の或る一線を跨ぐと、ノスタルジアを欲するようになるのかもしれない。

今回はそんな話を・・・

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リバイバル上映

先日、「一生に一度は、映画館でジブリを」と銘打たれたプロジェクトに呼ばれ、「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「風の谷のナウシカ」にお金を落とし、涙を流した。人目も憚らずに涙したのは一体いつ以来だろうと考えながらも、帰路の中で思い出の蓋を開け始めた。

作品によってその当時の記憶が蘇ることは、当たり前だが何もジブリだけではない。だが、宮崎駿の描く絵コンテ、久石譲の奏でる音は、個人的に全ての事象の中でも際立って多くを諭してくれる。

何十回と見返し、セリフや展開を熟知していようとも、あの昂奮が色褪せることはない。観るごとに違った感情に陥りながらも、過去の景色が話しかけてきて、現在とを一直線に結ぶ。

僕にとっての不朽の真髄である。これまでテレビ画面で楽しんでいたものをスクリーンで観れたことは、まさに不幸中の幸いだろう。



美化される幼少期

古風な家々を抜け、沈みゆく夕日をテトラポットで眺めた日。

1時間に1本しか走らない1車両のワンマン電車を、錆び付いたストーブに手を翳しながら待った日。

風にのった泥の匂いに笑みを浮かべ、親父と汗を拭いながら田植えをした日。

普段は仕事に追われ目を瞑っていながらも、あの頃の感覚を忘れたわけではない。むしろ日々の責任を抱え込むことが増えるにつれ、あれこれと慮ることが増えた。

子どもの頃見ていた世界は、枠組みをハッキリ捉えることができずとも何百色もの輝きがあった。しかし失っていく時間の中に生きる現在は、1つひとつとモザイクをかけてはモノトーンに落とし込む作業。

なんとも味気ない。

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さて、上記に触れたジブリ作品の話に戻そう。

かつて観た時の感動や衝撃、哀しみや慄きといった感情は眠っているだけで、作品に触れることでフラッシュバックする。考え方が変化したことにより、過去の自己の定義を超えた自己を認識することができる。作品が物差しに据えられ、成長を推し量る作用を成している。

また、一種の安堵のようなモノも与えてくれる。作中の雰囲気が、故郷の自然や昔ながらの人間関係を思わせるからなのかもしれない。この「物差し」「安堵」こそがノスタルジアであり、それを感じさせてくれる相棒を持つことは大切である。



さいごに

見返したいページが頭の中に鮮明にあるのであれば、それを映し出すツールには厭わずしてコストをかけるだろう。謂わば「リアル体験」に対するコスト。

これは映画や文学・音楽といったエンタメに限らず、場所であったり料理であったりと多岐にわたる。あの日の匂いを嗅ぐためならば、どんなにお金を積んででも懐古したくなるのが人間なのかもしれない。

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