How’s goin guys, It’s Koshin(@k__gx88)
ホストやアイドルなどを応援する推し活の為、消費者金融や奨学金などの借金返済の為、高級車やブランド品に身を包みたい等、様々な理由から人は「お金」を必要とする。
ここでは「夜の仕事に従事する女性」として、貧困に喘いでいる若者の実態に迫る。今回は、都内某所の介護福祉施設に勤務しながら、空き時間を見つけてはデリヘルとして働く橘沙絵さん (仮名・27歳)に話を聞いた。
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私は間違ってない
「分かってはいたんですが、業務量に対して給料が低すぎるんですよね。これじゃ “良い人” と同棲なり結婚なりして世帯収入を上げない限りマトモな生活を送れないと思っています」
東京都出身の沙絵さんは、同居していた祖父が車椅子の身だったこともあって昔から介護が身近な存在だったいう。学生時代、何となく大学に行って何となく入れた企業で社会人生活を送るといった人生を嫌い、それなら何か社会貢献できることを仕事にしたいと介護福祉科の専門学校に進んだ。自分と同じように人と人との生きたコミュニケーションが好きで、福祉という現場で利用者の為に働きたいと考える同期と過ごす2年間は実りあるものだったと語る。
「高3の進路相談で介護士になることを考えていると担任に伝えました。素晴らしい仕事であることは間違いない反面、賃金体系や保障面で苦労する可能性があると聞かされました。それでも、曖昧な気持ちで人生を設計する周囲より真面目に向き合っていると自負してましたよ。鼻にかけている節さえあった。私は “今どきの夢追いの風潮” には流されないんだって」
周囲の人間は、彼女の言うところの普通に大学に進学して一般的な企業に勤める人が多かった。専門学校時代に定期的に行われた高校時代の友人とのクラス会は、彼女の自尊心の肥大に拍車を掛けた。
「大学生の生活って誰の口から聞いても生産性が無いというか、バイトと飲み会の繰り返し。私はバイトする時間を持てないくらい実習や国家試験の勉強に忙しかったです。何もしていない他の人に比べたら自分は着実に目標に向かって頑張っていると思っていました」
サービスばっかり
介護士の1日は多忙を極める。介護福祉の日勤を例にすると、午前中は利用者の健康チェックから始まり身体や頭を使ったレクリエーションやリハビリなどが行われる。午後には昼食に入浴介護、そしてリネン交換などに追われる。基本的には夕食のタイミングで夜勤と交代する。
いわゆる介護業務はもちろんだが、先述のレクリエーションは介護士が運営を担うことにも着目しなければいけない。それに付随した行動計画の設定や企画書の構成などがある。もちろん実施後に振り返りを含めて利用者から感想を集め、次回以降のレクリエーションの方針を修正する必要もある。場合によっては残業も多くなり、サービスとして帰宅後や土日に報告書を作成しないといけないことも多々あり、決まりきったルーティン作業は無いと言っても過言ではない。
「私たちの仕事は “暮らしの補助” っていう立ち位置ですけど、私自身が補助して欲しいくらいですよ。現在の平均給料は手取りで18万くらいです。職場近くに住めれば時間的な余裕が生まれますけど、家賃が高くて支払えない。それでも通勤に時間が掛かりすぎるのも却って精神的に余裕がなくなる。今は京成立石から1時間くらいかけて通っています。せんべろの街で有名ですけど、類に漏れず私もアルコールに頼る生活を送っています」
施設で働き始めて4年目の春、新型コロナウイルスの猛威により緊急事態宣言が発令された。これまでの3年間で培ってきた経験やスキルがあるとはいえ、非接触を念頭に置いた施設の体制変更により多くの業務が一新された。業務内容の変更点に関しては慣れれば済む話だったが、利用者の家族のケアや感染症を蔓延させないようにするための徹底した管理がストレスになったという。
「4年目にして始めて後輩の育成を担当することになったんです。新卒で入ってきたばかりの子が仕事を、そして現場を好きになれるかは私に懸かっていると思って真剣に仕事に打ち込んでいました。その矢先にコロナの猛威により全てが一変しましたね」
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