How’s goin guys, it’s Koshin(@k__gx88)
「wanna be・・・gotta be・・・」
何者かになりたい僕らは常日頃から頭を悩ませている。損得感情に身を委ね、本当に必要なモノを見失い、偽りの自分を演じる。現状の壁に押しつぶされ、疲弊感に荷が重くなり、規則的な足跡が深くなる一方である。
そこで、凝り固まった感情を払拭すべく、時には脳裏に浮かんだ欲求のままに行動してみては、といった話を今回は。
Get Ready⇨
味がしないのは何故
食事と睡眠の間を縫う様にして仕事をし、適当な漫画や映画といった娯楽に昂揚を縋る毎日を繰り返す現代。ここに何の違和感も抱くことなく生活する人はどれだけ存在するのだろう。
仕事および私生活に不満もなく生活は送っているつもりでいようとも、どこかワクワクしないのは僕だけではない筈である。無味無臭の路地を歩いた先には何もない。自己に似た花に水を差したにもかかわらず、それが反映されることはなく心は潤わない。煌びやかな生活をイメージしようとも、現実は下降線の一途を辿っていく。
ベルトコンベアの如く繰り返される日々の中で、少しでも実りある時間を作ろうとイベントを画策するが踊れない。何故なら、そのイベントにて得られる答えが予め分かっているから・・・
損得に縛られず、ただ目の前の事象や流れに身を任せ、なりゆきの中で面白そうと思うコトを試してみると、もしかしたら触れたことのない味や嗅いだことのない匂いに出会えるのだろうか。
狂う道化人形
「無駄を省いて効率よく物事を行なうさま・・・」のように定義された合理的な生活の中では、奇想天外な行為を選択できる筈があろうか。大人になった僕らは、ある程度の見識があるが故に、想像力に長けている。思いついたアイデアから起こりうる展開をすぐに頭の中に図式化できてしまう。
だが、生きた心地を味わいたいと切に願うのであれば、展開が想像しうる事柄に身を委ねたり、安住が約束された環境に身を置いたりすべきではない。たといそれが稚拙であったとしても、見聞のない面をむいてプロットを立てることが重要である。
失敗しようと成功しようとも、そこには必ず笑いが存在する。突発的な感情の昂りから、ヒッチハイクや海外渡航、軽装備で山に籠るのも真冬の海に飛び込むのもイイ。そうやって合理的思考の元では絶対的な否定を受けるであろう対象に対し、心を震わせるは悪くない。
普段の生活では必要のない知識や体験こそが、その人の財産になる。
合理という名のもとに柔順なる優等生を演じる外面と、狂った世界観にのめり込む奇人なる内面とを、マリオネットを巧みに操る道化師のごとく動かす。そのような線引きの連続こそ、つまらないという沼から顔を出す契機になり得る。不変的な針の中で、末梢に耳を傾ける癖を持つべきである。
さいごに
真っ白の紙とペンを渡された時、無心になって走り出した先に浮かび上がる言葉は何か。無駄という二文字が頭を過った瞬間、自ずと行動を制限しようとするのは自然である。
だが、欲求と理性との鬩ぎ合いの果てに、理性だけを選択していてはつまらない。時には損をすることも何も得られないこともあるかもしれないが、合理的なモノの見方から脱却し、「やってみたい」という欲求のままに「その瞬間を生きる」のが大切ではないか。