大学生活で襲ってくる虚無感を向けるべき矛先

Life
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How’s goin guys, it’s Koshin(@k__gx88

 

高校までとは違って目に見えた縛りの無い大学生活で虚無感を抱く者は多いのではないでしょうか?向けるべき熱量の矛先が解らずじまいで、団栗の背比べというカゴの一物になってしまうことも。

僕もカゴの中からの景色を見ていた1人です。僕も「バカやって笑って疲れて眠る」という定型化した生活を楽しんでいた1人です。でもある日を境に、心が空っぽになった感覚と焦燥感に襲われて自我を模索する旅に出かけ始めました。誰しもが経験するであろう大学生活に於ける虚無感について・・・

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1. 愉快の裏にある憂慮

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思い起こせば、大学1年次ほど欲望に溺れた日々は無かったと思います。

「独りぼっちの時間を忌み嫌って飲み歩き、グラスを割って高笑いし、訳もなくウイイレに明け暮れ、煙草を呑んで夢を語る」

当時はこのような時間が何よりも楽しかったことは間違いありません。

「ファッションに金を落とし、流行りではないニッチな曲を覚え、時期が来ればテスト勉強に備える」

周りを見渡しても同じようなライフスタイルの者だらけだった環境にどこか安心しきって、危機感なんて持ち併せていなかったです。そして、普遍的な生活を平凡に送ることが大学生なんだと思っていました。ただ、2年次になり下の代の生活を客観視したことで僕の中の何かが弾けました。大学に入れば何かが変わると信じてやまなかった期待と、代わり映えのない生活への失望。

長く暗い自問自答の日々が始まりました。




2. ピーマンの種で在りたくない

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ある日、野菜炒めを作る過程でピーマンを切ったところ、「捨てられる種」に自分が重なって見えました。同時に「大学というコミュニティの中にウジャウジャいる棒人間の1人」からの脱却にシフトチェンジしなくては思いました。

といっても、大したスキルのない20歳。何を始めようとも自己責任という自由な環境の中で、どうしたら「ピーマンの種」ではなくなるのかを必死に思案しました。そこで僕が目を向けたのは「独りの時間」でした。

 

  1. 単独登山をとことん楽しむ
  2. 月1で上野や渋谷の美術館を訪れる
  3. 読書に耽る
  4. スケートボードを乗り回す
  5. Sports Pubでアルバイトを始める

 

かつては忌み嫌っていた「独り」にこだわって行動してみることで、得られるモノは多いのではいか?また、ちょっと違った行動をすることで、ある種の羨望の眼差しを受ける対象になれるのではないか?というワクワクが混み上がり、さながら初めて動物園に行った子供の頃を想起させるような瞬間の数々に身を委ねました。

そして、独りの時間を増やしたことで起こったことで「好きの確立」という概念を覚えました。自分1人で面白いモノを探す旅に出て、興味関心の矛先の千差万別をする時間が増えたことから、何が好きか」という答えを自然と生み出せるようになりました。


 

*孤独についてはこちらも⬇︎



3. 飽くなきハイエナへの変貌

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独りの時間」が「好きの確立」を促すことについて触れましたが、ここで満足してはいけません。そこで得た答えをもとに、好きを何処で活かすことができるのかという模索の旅へと再出発する必要があります。つまり、アイデンティティをぶつける場所の創造です。

簡単な例として・・・

  1. 「ファッション」が好きなら、オリジナルブランドを立ち上げてインスタで紹介する。
  2. 「ダンス」が好きなら、プロのダンサーと共にステージで踊る機会を獲得するまで個を磨く。
  3. 「本」が好きなら、個性が集う読書会に参加して見識を養いながらバチバチに討論する。
  4. 「ラジオ」が好きなら、面白いと思う構成を練って局に売り込みに通う。
  5. 「海外」が好きなら、留学・ワーホリ等まとまった時間を外国人と過ごして文化や流行を知る。

 

このように、好きを見つけた先の行動は挙げ出したら切りがありません。好きの対象は何だって良くて、思いのままに自分を生かせる場所を創造することが重要です。問題は、他者の目を気にすることなく躊躇せずに目の前の橋を渡れるかです。

僕の場合、休学ワーホリとして滞在したオーストラリアにて文章での表現に出会ったことで、帰国後も多方面に過去の点が作用していると感じています。

「批判する側ではなく、批判される側に在りたい」

「嘲笑する側ではなく、嘲笑を受ける対象で在りたい」

という思いを抑えられなくなったあの日から、チャンスを掴むために形振り構わずハイエナのように貪欲に動き回る楽しさを噛み締めて生きています。

さいごに

「好き」を持つことの重要性にフォーカスして書いてきましたが、無くても相応に生きていけます。恐らく生きがいなどは、人生の最後に過去を思い起こした瞬間に降ってくるものでしょう。いつか振り返った時に「あの時は良かった」と笑える日が来るまでは、過去の選択が正しかったのかは不明かもしれません。

でも、自由な時間を虚無感に苛まれたまま同じ環境に居着くのは勿体無いと考えます。行動の「きっかけ」と「やること」をセットすれば自ずと生活に変化が生まれます。後ろ指を指されようとも、動いた者が勝つと思いませんか?

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