How’s goin guys, it’s Koshin(@k__gx88)
心なしか此処のところ厭に豆腐が目につく。
「生姜と醤油」
さも最適かのような組み合わせにうんざりしてきた。
「冷やっこ」として成立し、あと一品の代表格であるサブ的存在に対し、時間をかけて可愛がるつもりなど毛頭ない。改良の選択肢は幾らでも思いつくが、そうまでして楽しむモノなのかと自問する。
今日もまたフィルターを外し、残り汁を流し棄て、雑に割いては盛り付ける。
Get Ready⇨
籠の中の鳥
大自然の中での「アルムおんじ」との生活に「ハイジ」は笑顔を絶やすことがない。パンとチーズという毎度同じような食事と、死をも感じる極寒といった貧しさ極まりない環境にも満足していた。
だが、大人の事情で入らされた何も不自由のないフランクフルトでの生活にて、夢遊病になるほど心を閉ざした。木々や鳥たちに話しかける垢抜けない少女の姿は、悲しいかな、もうどこにもない。
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忙しない毎日の中で、穴の開いた心に水を注ぐ度にふと我に返る時がある。空虚な器に水を差しても、綺麗な花など咲かない。
目に見えたイイのみでしか測れない幸福論には反吐が出る。コミュニティや存在といった記憶を全て消し去り、ルーツに戻れば何か変わるのだろうか。一度、現状とは異なる価値基準が流れる空間に身を置きたいと願うも、今すぐに飛び立つ勇気を持ち合わせてなどいない。
個人の思いとは裏腹に曖昧なモラルによって居場所が無くなりつつある。
湯を忘れたシャワー
街ゆく人の滴る汗に陽炎が色を付ける長月の或る日、アパートのシャワーが言う事を聞かなくなった。あえて太陽に捕まりながら身体を火照らすも、家に近づく頃の影は僕から離れたがっている。
嫌がるのも無理はない。蛇口からは、幾ら回そうとも甲高い音と共に滝のように冷水が噴き出る。初めから湯など出したことのない素振りで。水の勢いを宥めつつ、爪痕が残るほど両の手を握りしめては、今日も我慢しながら極寒を体感する。芯まで凍り付いた頃、とうとう僕は壊れた。
何も見えなければ、何も味がしない。喉元から食道へと落ちていくhot coffeeですら、僕を温めるには至らない。熱いモノを入れれば身体がポカポカするなど、痛みを知らぬ阿呆の狂言と思わざる負えない。この不自由な生活に終わりが見えない中で、日曜日に顔を出す銭湯だけが砂漠にあるオアシスであった。
蓋し、このオアシスが夢想の分岐点に成り得えまい。
?
恥と汗とマスをかいてリセットを繰り返す日々。周囲との軋轢に唾を吐き捨てては、主観的存在に蓋をしては閉じこもり、冷水の中で思案に耽る。
一方では普遍的な笑いを尊び、輪を形成する1人になりたいと願う自分もある。だが、変える必要がある何かに目を背け、怠惰な生活が今日も続いていく。
嗚呼、僕は豆腐だった。