How’s goin guys, It’s Koshin(@k__gx88)
臭い物に蓋をしたくなるような出来事は前置きなく訪れる。温かく迎えてくれる家族や恋人が家に居れば、少しは人間味を取り戻す助けとなってくれるだろう。
だが、独り身の僕は、ラジオでも聞きながら仄暗いトンネルを静かに歩くしかない。
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聞く耳
腐海の瘴気が蔓延した世界であっても、「ナウシカ」は自然や蟲の声を聴こうという姿勢を止めなかった。自身の数十倍もの大きさである王蟲にも、弱っているようであれば手を差し伸べることに対して少しも躊躇することはない。その寛大な優しさには、子供たちを始め彼女と関わりある全員が好意を抱いた。
一方で、父が殺された現場においては、「クシャナ」の部下に対し髪を逆なで暴力に尽くしたという狂気的な面も備えている。とはいえ結果的には、怒りに任せて抵抗するのではなく「トルメキア帝国」に屈する形で敵船に乗り込んだ。
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守るべきものを知っている人間は、例外なく耳が肥えている。対象となる者の小さな声を拾う必要があるからだ。ナウシカに置き換えても同じことで、闘うことをしない背景には、ただただ風の谷の民が何不自由なく笑顔で過ごせることを望んでいるからに他ならない。
でも、冒頭にある通り、家で帰りを待っていてくれる温かい家族を僕は持たない。つまりは、日常生活において、ここでいう守るべきものを持たないということになる。その意味で、僕は耳が付いていなかったのかもしれない。
もう随分と長いこと独りの時間を過ごしている。濁流の如く押し寄せる目の前の情報を処理し、溢れたコンテンツの中で好き嫌いを選別して血肉と化し、自己の立ち位置を省みて歩むべき道に足を向ける為には、少なからず “ひとりぼっち” の時間を意図的に捻出すべきと思っていた。
それらは間違っているわけではないにしろ、必ずしも正解とも言えない。秘密の通路の先で独り隠れて腐海の研究をしているナウシカも、避難場所として自分だけの世界を作ったに過ぎない。
6畳一間のアパートを避難場所として認識していた時もあったが、必要なのは外の世界に目を向けることだった。
ラジオを聞いてみる
人間を上手く演じられない者は、「声を上げればウルサイと殴られ、声を閉ざせば泣き虫と罵られる」ものだ。発言権のない者に対し、時として世間は異常なほど冷酷な態度を取る。
大なり小なり何れかのコミュニティに所属すれば、不当な扱いを受けるのを経験したことがあるだろう。口は開けないけど、僕だって胸を張って顰めっ面で歩くことはする。それによって更なる窮地に追い込まれるじゃないかという声は無用だ、とうの昔から知っている。でも、弱者には弱者なりの戦い方がある。
一体いつから、そして何故こう厭世的になったのか分からない。前までは無味無臭だったはずの周囲が、塩辛い味とドブの底のような臭いになり、悩まされ続けている。
鼓動が響くほど大きな音でヒップホップを聴こうとした。そんな折、山小屋からの配信ラジオが目に止まった。そういえば長いことラジオから遠ざかっていたことに気付き、何気なく再生した。声を頼りに目を瞑れば、季節ごとの山々の景色が思い浮かび、追体験のようにして甲斐駒ヶ岳に登った気持ちになった。日の眩しさ、凍てつく寒さ等々、情報に五感が刺激された。久しぶりにヤマケイ文庫の『小屋番三六五日』を開いたほどである。
あくまで僕も登山を好むので世界に入り込み易かったのもあるが、これだけ映像媒体が増えている中で、耳で受信するだけのメディアに今さら救われるとは思ってもみなかった。真っ暗い部屋のベッドに仰向けになり、ニヤニヤしながら芸人の深夜番組を聞いていた10年程前の記憶が浮かんだ。
耳から入る音声は瞬時に映像処理される。言葉を変換することは記憶への定着も促進されるらしい。目で見るだけでは視点が定まらないことから忘却される事象が多いと言われているが、何度も何度もリピートして聞いた内容は覚えている。脳科学的な観点から見て、脳の活性化にラジオが効果的という研究結果が散見されるようになった。
いまの僕にとって守るべきものは自分自身かもしれない。あと何回の夜を超えれば作業が終わるのかは分からないし、いつになれば心地よい相手が迎えてくれるのかも不明である。
昔のように、ふとした合間にラジオに手を伸ばすようにしてみようかしら。
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吹き止まない風によって回り続ける羽根車のように、ここのところ周辺の情景は絶えず動き回っていた。黒い靄に追われ、それらを処理する為に今日も起きては時間が過ぎていく。深夜ベッドに横たわっても、明日のことなど考えたくもなかった。
最近になって漸く時計の針の動きと自分が所有する何者にも制約されない時間とのピッチが合い始めた。とはいえ、完全に自由ではない。そもそも自由とは何なのか分からない。たかだか数秒数分の余白すらも作れない人間が、自由という言葉を吐くこと自体が間違っている。つくづく甘えることが馴染んでしまっている性質に反吐が出る。
みたいな内容を吐露し続けるPodcastを始めたとしたら、聞いてくれる人はいるだろうか。