10ヶ月のワーキングホリデーで後悔した3つのこと

Working Holliday in Australia
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How’s goin guys, it’s Koshin (@k__gx88)

 

ワーキングホリデーに行って後悔したっていう声が多くあるが、「実際どうなの?」という方々は多いのではないだろうか。極端な話、成功に見えるストーリーが、本人からしたら消したい過去という場合がある。反対に、端から見たら決して輝いているとは言えずとも、満足感と共に生活している人もいる。

掲げた目標の出来によって、感情のベクトルが変わってくる「ワーキングホリデー」だが、僕自身オーストラリアでの10ヶ月間で、「**しておけばよかったな」という思いは大なり小なりある。その中でも際立って自責の念を持つ3つの事柄について紹介したい。

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1. 仕事選び

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オーストラリアにて、

  • 眼前に広がる風景の全てが葡萄畑での農作業(ファーム)
  • 倉庫での建設重機部品の研削・塗装作業
  • 日系メディア会社でのインターン

などを体験した。初の試みも多く、今の糧になっていることは間違いない。

しかし、「お金が無かった」ことを鑑みると、決して満足いく生活ではなかったのも事実。減っていく通帳残高と毎日にらめっこし、その週の給料と支出を計算する土曜日。全くもっての乞食ではなかったし、好きな菓子やビールなどを買う余裕はある。

でも、「ちょっとメルボルン」「1週間エアーズロック」といった余興を楽しむ為に費やすお金は無かった・・・。生活が簡素に、そしてミニマリス化していく時の流れと同じくして、見たい景色をYouTube で確認することの歯痒さを募らせていく日々。

僕自身、答えは分かっていた。何振り構わずに、何処でも働くことにシフトチェンジすべきであると・・・。初めの3ヶ月程は、ジャパレスだろうがカフェだろうが、来たるべき日の為に「お金」に固執しておけばよかった。




2. 英語学習

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8週間の語学学校で、Elementary(初級者)からUpper Intermediate(中上級)にレベルアップした僕のスキル。その時分は、学校で5時間・家で3時間ほど机で勉強していたが、リスニングとスピーキングに慣れてくる3ヶ月目辺りから、圧倒的に会話重視になり座学が減っていった。

日常的な英会話や、「何故ここにいる」「今後何をしたい」といった定型化した会話はお手の物になった先にある分岐点で、英語学習の真価が問われると思う。インプットが少なくなれば、アウトプットの内容にも限界が迎え始めるから。

僕の場合は、ある程度のスラングも交えながら笑いある会話に隔てりが無くなった時点で、勉強を止めた。ローカル相手の広告営業や、アート作品に関する記事の翻訳といった作業を熟すことができたのもあって、ある程度のレベルという自覚があった。更に言えば、アデレードで受けたTOEICも「705」だったこともあり、卑下するものでもなかったから。

しかし現在、英語スキルは圧倒的に落ちていると痛感しており、今のスコアは「600」行くのかすら怪しい。日本という点数至上主義の環境下では、点数の持たない僕の経歴など話にならない。文法などほったらかした過去の自分を悔やみながら、その清算をすべく今後はインプットにフォーカスしなければならない。



3. 情報発信

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これが最たる後悔である。

「なぜ、ブログの立ち上げを何故もっと早くしていなかったのか」

ワーホリを通しての自身のスキルや心変わりといった内容などの凡ゆるトピックに於いて、どう考えても現地滞在者の方が説得力がある。帰国後に数ヶ月前の過去に思いを馳せて、記憶を辿りながらの記事には少なからず穴が存在すると思う。

では、「WordPress」という僕だけのプラットフォームを創造することが構想にありながらも、行動に移らなかったのは何故か。端的に、当時の僕に文章で勝負をかける勇気がなかったから。此れと言った能力・個性を持たない者が伝えることの価値を見出す暇があれば、シェアメイトとビールを飲んで笑っている方が楽だった。

しかし、今にして思えば、毎日欠かさずに英語で記した日記を公開するだけで面白いし、アデレードというまだまだローカルな環境の一片を写真と共に載せるだけで、誰かの何かに繋がるのは目に見えている。オーストラリアに関しての話になるが、「伝えたい情景を、伝える手段はありながらも、曖昧な情報は伝えられない」という葛藤の中で今を生きている。

いずれ Sup mate と遊びに行った際に沢山発信できればと思う。

さいごに

あの瞬間に戻れるのなら、上記に意識するとは思う。しかし、正解か不正解かなどは後からついてくるわけで、その先の在処の何かがアリかナシかにこだわるべき。

失敗があるからこそ、緩んだ涙腺を固く結び直してチャレンジしようと思える。後悔は誰にでも襲ってくる。その時分の憤りを逆算的に捉えて、行動できれば良い・・・

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